中措 大樹さんの留学報告

各国の学生

すばらしき仲間達

AITは学生のその地域性の広さとともに、教師・公務員・医者といった彼らの自国での経歴の多様さにも驚かされる。キルギスタン人、イラン人などなかなか会う機会がないであろう国の学生とも話すことができ、新鮮な出会いを得た。いわゆる発展途上国と呼ばれる国の学生ほど勉強熱心であると言える。アジア各国でMBAを持っているということがどれくらいの力を発揮するかを物語っている。皆一様に明るく、彼らのお陰で勉強や生活に対する不安も薄らいだ。彼らと話していつも驚くのは、日本に対する関心の大きさと知識の深さだ。しかし、日本を少し買かぶりしているのではないか、未だに経済的日本崇拝を感じる。

各国の友人達には、まず食べ物の好みから風俗・習慣・価値観の違いなど様々な点で驚かされた。友人の日本人は、タイ人に「あなたの誕生日会を開催してあげる」とレストランに呼ばれ、終わってみたら「当然、払いは主役持ち」と奢るはめになったという。日本とは反対のタイの風習にびっくりしたと聞いた。アジア各国に共通して言えるのは、何でも受け入れる寛容性と忍耐強さを兼ね備えた反面、大変プライドが高いということだ。皆、自国を誇りに思いまた真剣に愛しているのだ。

各国の国民性は…と言っても、人は桜梅桃李、国によってその個人をひとくくりにはできないが、私のAIT生活1年半、沢山のカルチャーショック、様々な友人と交流した感想を独断と偏見を持って表現してみた。

タイ

AITで過半数を占めているタイ人、ここはタイ人の大学ではないかと思うほどだ。企業・政府から派遣の学生はわずかで、ほとんどの学生が大学を出て直ぐAITに入学、たまに飛び級した20歳の学生もいるので、全体から比べると若年層と言える。彼らは優秀な上に裕福で、通学はベンツやBMWが普通だ。このような富裕層は、ほぼ中華系タイ人で広東語が堪能な者もいる。タイ人友人に本場アメリカではなく、なぜAITにMBAを勉強に来ているのかと尋ねたところ、女性の場合だが、裕福な家庭であるが両親がアメリカ・ヨーロッパに娘を留学させるのは倫理的に許されない、つまりは心配で海外に出せないからお膝元タイで勉強させるということらしい。このような学生には親からのあらゆる補助があり、卒業後はほとんどの者が大企業に縁故で就職する。

タイ人は、グループワークなどで皆で課題を分担したにも係らず、期限まで仕上げてきたためしはない。悪びれた様子もなく、そのようなことは水に流してくれといった感じだ。何でもマイペンライ(No Problem)の精神なのだろう。明るく人懐っこいタイ人は、全体的に小柄で顔が幼く見えるためか中学生のようだ。仲の良いタイ人友人達でグループを作り、四六時中一緒にいるという特徴がある。朝は連れ立って授業に行き、隣同士に座る。昼食・夕食はもちろん一緒、もし別々に遊びに行く時は誰々と行くからと仲間に断らなくては行けない。このグループから一旦外れると、復帰するのが難しいらしく仲間意識は相当なもの。前に、まだ知らされていない試験の範囲を彼らが知っていたことがあり、仲間同士の団結力・情報交換量の多さに感心した。

小乗仏教のタイでは、人から物を貰うということを好まないと見受けられる。反対にプレゼントしたり、人に親切にすることは仏教思想の「徳」を積むことになる。なので道を尋ねると大変親切に教えてくれるし、わからない時は他の通行人を呼び止めてでも聞いてくれ、最後には人だかりができてしまうほどだ。バスに乗っても、女性やお年寄りに席を譲るのは当たり前、座っている人は立っている人の荷物を無言のうちに持ってあげる。最初、私達は荷物を持ってくれたことに感動し大変恐縮していたところ、反対に怪訝な顔をされてしまったことがあった。

ベトナム・カンボジア・ラオス・ミャンマー

私の同級生達は戦争を知らない世代だ。敬虔な仏教徒で、発展途上にある国らしく純粋で素朴な人柄、忍耐強い性格。ただ、こちらがビックリするほどの頑固さも持ち合わせており、これが仕事上だったら…手強い相手になるのではないかと思った。勉強熱心ではあるが、自由経済に関しては基礎知識がないので、全体的に成績は芳しくないようだ。 ベトナムにはAITの分校があり交換授業も行っているため、タイに次ぐ大きな勢力と言える。彼らの普段の生活は、大変質素で性格も控えめだが、中国正月などのイベントになると俄然張り切りだす。バンコク在住のベトナム人も大型バスに乗って駆けつけ、祭りは夕方から深夜にまで及ぶ。

カンボジア人は年々増えているようだが、おとなしく質素な感じなのであまり目立たないように感じる。知人は8人兄弟の末っ子、兄弟の中で唯一大学に行かせてもらったらしい。カンボジアに大学があったのかと不思議に思ってしまった。家には通信機器がなく、電話は村長の所にかけにいったそうだ。日本人友人は、カンボジア人に総選挙前「首相には誰が一番好ましいのか?」と尋ねたところ、「誰でもいい」という答えだった。全く関心がないようで、首相が誰であろうと彼らの生活には大した変化が無いという意味なのか、それともただ単に政治に対して興味が無い(日本の若者と同じように)だけなのか、と当惑したという。また、私が友人に「本当にキリングフィールドはあったのか?」と率直に尋ねたところ、あっさりと「一部にはあったかもしれないが全国的ではない。事実、私の母は医師だが何もなかった」という答え。歴史の認識と言うのは、内と外ではこうも違うものかと考えさせられた。

ある日、妻が「ニホンジンノカタデスカ?」と流暢な日本語で話し掛けられたそうだ。ラオス人のその彼は、半年間日本に研修に行ったことがあるので、ある程度の会話とひらがなを書くことができる。植民地時代にはフランス語で学校の授業が行われたくらいなので、発音はともかくとして語学に明るく、従順な印象を受けた。ラオス・カンボジアはフランス政府からの奨学金を受けているため、フランスミクロ経済学をフランス語で受講しなければならない。数年前までタイ・ラオス間で紛争をしていたくらいなので、人数は少ないが留学や研修に海外にでている学生は、将来を担う選抜された優秀な学生であることは間違いない。

ミャンマー人は、日本人と性格が良く似ていると言われる。確かに、何事にも控えめで素朴な人柄に一種のなつかしさを感じることがある。イギリス支配が長かったため、東南アジアの中でも比較的英語が堪能である。国土も豊かで勤勉な国民性なので、軍事政権の壁が崩れ政情が安定しヤンゴン大学などが再開すれば、さらに優秀な学生が育つことだろう。

インド・パキスタン・バングラデッシュ・ネパール

核実験や民族対立、自然災害による政情・経済不安定により全体的に人数が減少したようだ。核実験騒ぎの時の反応は、AITでは特に感じなかった。しかし、SU President選挙の時、インド少数派民族(タミール族)出身の候補とネパール出身の候補の間で激しい合戦があった。結局ネパール人が勝利、その後インド少数民族派側はSU主催の学生祭をボイコットするということもあった。また、タイ人を始めとする東南アジアの学生は、南アジア勢力がAITで影響力のある地位に着くことを望んでいないように感じる。理由は、やはり宗教の違いから生じる考え方の差、また南アジア人は英語が流暢で何でも思う通り英語で意見を述べることができるから、東南アジア人から見て学業面において悔しい部分があるのかも知れない。

インド人学生は希望者の大変多いなか、少人数枠の政府選抜なので優秀な学生が多く、授業中の発言やクラスの成績上位をいつも占めている。より高収入の仕事を得るために自国の企業を退職して来た者もおり、タイで外資系企業に就職しようとするケースをよく聞く。多民族で英語が共通語であるため堪能で、持ち前の押しの強さと早口でまくし立てられると圧倒されてしまうことがある。

パキスタンやバングラデッシュも同様、国費留学であるがいろいろな内紛を抱えている国のせいか、どこか目に暗さが感じられる。半数は女性で、SOMや女性問題研究学科(ジェンダープログラム)に多い。ほとんど富裕層・閣僚などの子女で、昔ながらのサリースタイルを崩さず、色取り取りのサリーを身に着けているので大変目立つ存在だ。

パキスタンの友人に核実験についてどう考えているのか質問したことがある。彼は「個人的には決して核に賛成ではなく、平和的安定を望んでいるが、周辺諸国が不穏な動向を示しているので、それに対抗する意味で核をやむを得ず持っているのだ」と肯定とも否定とも取れる意見だった。イスラム教には、目には目をという思想があり戦いは全て聖戦になる。また、イスラム教では厳禁の自由恋愛をし駆落ちした若い男女が、親族により惨殺されたというショッキングなニュースは記憶に新しいと思う。これに対して彼は「過剰報道だ」という意見であった。

ネパールはヒンズー教、特に仏教ゆかりの国であるので上記3ヶ国とは少し一線を科すようだ。友好的で親しみやすく、優秀で大変な親日派であることから、東京大学など日本へ交換留学生として派遣される者が多い。

中国

圧倒的な人口を誇る中国からは、少ない国費留学の枠には入れない私費留学が多い。社会主義の中厳しい台所事情を抱え、皆、華僑精神で来ている。どこにでも中華家族がいるので、遠い親戚・兄弟を頼って家族を引き連れAITにくる中年層の公務員・教員が目立つ。友人に、夫は工場勤務を、奥さんは教師を辞めAITを卒業した兄弟を頼ってきた夫妻がいる。中国人には珍しい大変謙虚で腰の低いこの夫妻は、卒業後、今度は姉を頼ってニュージーランドに移り住むそうだ。移住先に就職先があるわけではない、それほど多い財産があるわけでもないのに身一つで悠々としている姿にショックを受けた。人生に貪欲でバイタリティー溢れる彼らを羨ましいとさえ思った。

人よりも少しでも上に、人を蹴落としてでも上に、上昇志向の強い中国人は、成績の内容は如何、とにかくMBAを取って帰る事に意義がある。

台湾・韓国

お隣の国からは、官僚や有名企業(銀行が多い)からの社費留学がほとんどのようで、戻ってきた時のポジションはそのまま確保してあるが、留学期間中の給料は支給されないとの事。なのでどちらかというと年齢の高い家族連れの学生が多い。経済力の違いか、物価高のせいか、ゴルフをしているのは日本人と台湾・韓国人だけと言われる。韓国では、政府関係者をアメリカまたは各国大学に留学させる制度がある。選択肢の一つにAITがあり、毎年1名づつの派遣がある。年齢も高く既に職を得ているので、学業面ではあまり熱心とは思えない。語学力の向上やアジア向けビジネスのための人脈作りという目的を持つ者が多く、その点日本と似ていると言える。

台湾は、AITのOB会において組織だって成功している良い例である。卒業生が自国に戻り、企業や政府系の中心部に入り込み活躍している。学生は、このAIT人脈を使えば就職にも苦労しないので、AIT出身という誇りが高い。

中近東

イラン・イラクからも毎年数人ではあるが土木や産業工学部に留学している。男性は紹介されないとどこの国出身かわからないが、女性は黒いベールを頭からまたは全身黒尽くめで歩いているので目を引く。ある日、見ず知らずのイラン人から日本製のステレオが壊れたから直してほしいとの電話が掛かってきた。妻と訪ねてみると、年代物のステレオ、どうやっても直すことが出来なかった。イラン人は大変な親日家のようで、日本の季節の話や「おしん」の話などをしきりに話しかけてきた。奥さんは当然黒いベールで顔を覆っていたが、私の妻の「いつも被っているのか」という不躾な質問に、こっそりベールを取って顔を見せてくれたという。それはそれは息を呑むほどの美しい人だったようだ。男は外、女は内といういわゆる「おしん」の時代のような女性達。自国のようにサロン(お茶会)もない、外出もままならない奥さん達はひたすら耐えているようだ。

中央アジア

また一人新しい日本人かと思い挨拶をすると???という答え。そこでやっと中央アジアの方の学生とわかった。それほど容姿が日本人にそっくりなのだ。ロシア崩壊後、アジア銀行または日本政府の援助により各国1名づつ留学している。この寒い国から来ているロシア系の学生は、気候の違いで睡眠不足となり、食べ物も口に合わないというように環境適応能力が乏しいようである。英語の能力も極端に低いせいで講義にも付いて来れず、また航空運賃が高いためすぐには帰れない状況のようだ。そのため途中退学する者もいた。ロシアから独立し変革期を迎えた今、資源はあるのに経済の向上が見られず混乱状況にある。しかし、平均年齢も低く、政府中央筋にも若い人材の登用が行われる新しい国である。苦労してAIT生活を送った学生たちが、自国に戻り国家建設の中枢を担うだろうことは明白だ。

卒業後の進路

SOMの卒業生の就職先を正確に調べようとすると様々な問題に直面する。まず、SOMの事務室を訪ね卒業生の資料開示を求めた所、そのようなものは無いと言い切られた。食い下がれば下がるほど断固として拒否された。結局、卒業生の就職先一覧は一応はあったが、就職先の欄に空白の箇所が多く、またアップデートもされていなかった。これは、セクレタリーの怠慢以外の何物でもないと思われるが、SOMの歴史が浅いため卒業生のネットワークが確立されていないからとも言える。卒業生の就職難・転職が多い、学生帰国後の連絡通信手段が乏しい、就職先が卒業生より正確に報告されていないなどのため、卒業生のデータ・統計資料が確立されていないと考えられる。

卒業生の主な就職先は、企業が多く次に政府筋である。カンボジアやネパールなど国によっては修士卒でも自国での就職がままならず、卒業後もAITに留まり就職活動を続ける者もいる。私のように卒業後同じ職場に戻るというのは稀なことのようで、就職先がなかなか見つからない同期生からすればうらやましい限りだと思う。以下の表は、私が同級生に聞いたSOM卒業生の就職先をまとめたものである。

SOM卒業生の主な進路一覧

タイバンコク銀行、サイアムセメント、シナワトラ、ダッチミルク、ネッスル、CP、アンダーセンコンサルタント、ファイナンス会社
ミャンマー政府機関、マーケティング会社、ソフィテルホテル、日系企業(住友商事)、外資系貿易会社
ベトナム政府機関、国営会社、外資系企業、大学教官
韓国政府機関(通産省、建設省他)
台湾台湾銀行、市中銀行、ファイナンス会社、CSC、教師
中国外資系企業、会社経営
カンボジア政府機関、国営会社、外資系企業、大学教官
ラオスラオス通信公社、政府機関
バングラデッシュバングラディッシュ銀行、外資系貿易会社
インドTATA MOTOR、シーメンス、バイヤー、ABB.、コダック
スリランカ化学会社、大学教官
ネパール日系建設会社、外資系企業、ネパール電力省
インドネシアシーメンス
モンゴルマーケティング会社、AIT
フィリピン軍関係、外資系企業、DOST
キルギスタン会社経営(コンピューター製造会社)

海外では日本の想像以上にコンピューター、特にE‐Mailが多く活用されている。友人とお互いメールアドレスを教え合い、今後も様々な情報交換をするつもりだ。SOMの卒業時の平均年齢は29歳である。企業・政府の中枢にはまだ遠いが、各国選りすぐりのエリート・幹部候補生であることは間違い無い。特に、カンボジア・ミャンマー・中央アジアなど若い国は即人材登用される可能性もある。私がこれらの友人と築いた友情は、仕事上今すぐには利益に結びつかないが、長期的視野に立ち必ずやこの人脈を活かせる日が来るものと確信する。

AITの日本人会

今まで私の友人の中に学術系の者がいなかったせいもあるが、研究という場で生きる人々に接し、その考え方の発想、進むべく将来の道に大変新鮮な驚きを感じた。

現在、日本人学生は博士課程2名(SOM1・産業工学)、修士課程6名(SOM2・土木工学2・ジェンダー1・産業工学1)いる。他に奥さん3名、AIT内の日本企業に勤める者1名、教授陣は10名程である。ここでは、勉強の苦労を共にしてきた日本人学生7名を紹介する。

日本人OB会には、建設・コンサルタント・商社・官僚と様々な分野で活躍している卒業生が多数おり、今後の人脈形成のためにも積極的に関与する必要が有ると考え、今まで様々な交流の機会に参加した。OB会長はバンコク駐在・電源開発勤務の笠氏である。現在、ダム建設プロジェクトを手掛け、休日問わず多忙だが、学生の送別会といった催しには都合を付けて出席してくれている。また、日本では年に数回(忘年会等)、近郊に住む卒業生同士で会合を持っている。

AIT日本人OB会の主な就職先は、

鹿島、ハザマ、五洋建設、千代田化工建設、大林組、大成建設、清水建設、西松建設、東急建設、熊谷組、電源開発、日本工営、PCI、新日本製鉄、NKK、川崎製鉄、栗田工業、富士ゼロックス、日立製作所、丸紅、三菱商事、住友不動産、東京工業大学、岐阜大学、九州工業大学、OECF、JICA、日本道路公団、通産省、警視庁、世界銀行

  1. はじめに
  2. MBAについて
  3. AITの紹介
  4. 各国の学生
  5. AITへ留学する方へ
  6. 留学に対する提案
  7. 添付資料:AITの紹介(タイ日本人会会報「クルンテープ」への掲載記事より)

[AITでの活動報告]
須崎純一 京都大学大学院 工学研究科社会基盤工学専攻 空間情報学講座