中措 大樹さんの留学報告

AITの紹介

AITの概要

Asian Institute of Technology(以下AIT)は、タイの首都バンコク、ドンムアン空港よりさらに約17km北方に位置し、近年発展目覚しいPathumthani市にある。昨年のアジア大会会場の一つとなったタマサート大学会場の隣に広大な敷地のキャンパスを有する。このキャンパス内には、銀行・郵便局・病院といった日常生活に欠かせない施設はもちろん、ホテル・プール及び9ホールのゴルフ場まで設けられており、極端に言えばキャンパス内より一歩も出ずに生活できる環境とないる。

AITはアメリカの極東戦略の中、共産化及び頭脳流出の阻止を目的とし、1959年アメリカ並みの大学院を目指し設立された。欧米及びアジアの政府・国際機関・民間企業からの援助により、国または経済的事情で就学できないアジア各国学生の教育の場として大変に注目されてきた。当初は、国土開発のための土木工学が中心であったが、1980年代以降、計算機科学・通信工学・産業工学・経営学・環境工学・バイオ技術等と分野を拡大していった。今では、土木工学部・環境資源開発学部・先端技術学部・経営学部(School of Management以下SOM)の4学部となり、30ヶ国約120名からなる教官に、同じく約1,300名の修士及び博士過程の学生がおり、エリート大学院としてアジアに高い知名度がある。卒業生は、伝統のある土木工学部、そして近年注目を集める環境資源開発学部が各々約40%を占め、SOMは全体の約5%程度である。

多くの卒業生が政府・企業等で活躍しているため、アジア各国でAITは高く評価されている。先日、バンコクで国際学術会議に参加した際、AIT第1期生のタイ・元経済大臣に会い、卒業生のハイレベルな活躍に驚いた。ただ残念なことは、反対にアジア地域以外での認知は低く、また比較的歴史が浅いことから、学生はいわゆる発展途上と呼ばれる国からの出身者に偏っている。この点について、AIT自身もヨーロッパ各国の大学との交換留学生制度を設けるなど、国際交流を積極的に図っている。各国の学生は、日本に非常に強い関心を寄せている一方、日本からの留学生は近年毎1〜3名程度と極端に少なくなってきている。今後、日本は金銭面のみの援助ではなく、あらゆる分野の学生を派遣することにより草の根レベルの真の国際交流を推進させるべきである。

卒業生を国別にまとめてみると、タイが圧倒的多数を占め、中国系特に台湾は毎年確実に伸びており、最近ではベトナム・ミャンマーの学生が増え大きな勢力となってきている。

SOMについて

SOMは、アジアの経済的発展とMBAへの需要の高まりにより1991年に設立された。まだ新しい学部であるため卒業生も約400名とわずかであるが、経済発展を夢見るアジアでは年を追う毎に志願者が着実に増えている。私の学年(1999年卒業)は過去最多の138名を抱えている。これは、アジア経済危機前に奨学金が支給されていたためと考えられる。今後は、政府や企業からの奨学金を取得できる学生が減り自費の学生が増える傾向にあり、毎年100名前後の入学が予想される。

MBAスクールの評価はアメリカで活発に行われ、その評価が大学にとって、また卒業生・在校生にとっても様々な面で影響を与えている。現在、アメリカではウォートン、ケロッグ、ハバードといった大学が上位を占めている。アジアにおいても、アメリカの評価方法に習い、最近MBAスクールランクが発表された。ASIA INCという雑誌に掲載されているが、その中でAITはアジア15位であった。オーストラリア・メルボルン大学、インド・インド工科大学及び日本の新潟国際大学が上位を占め、タイでは名門チェラロンコーン大学に次ぎAITがランクされている。評価の基準は、入学時のTOEFLのスコア・卒業生の就職・収入等が対象になる。AIT・SOMは創立8年と若く、発展途上国出身者が多い、アジア全体の収入額が低いといった状況のためランクはそれ程高くない。従って、アジアにおいて言えることは、MBAスクールランクからでは一概に大学の良し悪しは計れないというのが現状である。 AITは国際社会で際立った評価はされていないが、今後卒業生が増え、またその活躍によりSOMの評価も向上すると期待できる。

学業面から

1997年9月、アジア各国から約300人の新入生を迎えて盛大に入学式が行われた。入学式と言っても学生達はほとんどジーンズといったラフな格好で式典に臨んでいるのには驚かされた。これも南国たる所以だろう。まずはAITの学業面について、1年の流れをSOM科目の紹介と共にまとめてみた。

スケジュール

3ヶ月の講義期間後1ヶ月の学期休みがあり、これを5回繰返し合計20ヶ月となる。 入学時期は学部毎に異なりSOMは9月入学となる。

1学期あたり4〜5科目(週10〜15時間)程度の講義を受けることになる。特に1、2学期は講義数が多いことから、学生の間ではAITをAssignment in Thailandと揶揄する者もいる。

単位

SOMの規定の単位取得数は60単位となっている。内訳は全員必修科目16単位、各コース必修科目9単位、各コース選択科目16単位、各自選択コース以外から7単位、そして卒業論文は12単位となる。1学期は全科目必修で基本的に自由に選択する余地はなく、2学期目より選択科目を有す。 選択コースは、International Business Course(以閏 IB)と Management of Technology Course(以下MOT)と2つのコース分けがあり、入学時に決定するがその後も変更できる。私はIBコースを選択、その名の通り国際ビジネスを幅広く勉強したいと思ったので、関連する営業論や文化論など様々な科目を受けた。自分の選択コース以外から最低4科目7単位取得する規則になっているが、私は教授に相談し、1科目(Information Technology)だけ取り他の単位をIBの科目で代替した。というのは、MOTは生産管理論など技術系科目が多かったためである。この選択科目16単位について、教授陣から疑問の声が上がっている。自由過ぎて一貫性に欠けるのではないか、コース分けをもっと厳しくするべきだというような意見である。これは前向きに検討されているらしいが、専門性主体か総合性主体かAITが舵取りを迷っていることが伺える。 次に、IB科目(必修・選択)について各々詳しく述べる。

必修科目

選択科目(IB用)

授業内容

MBAには2つの主流、ケーススタディ方式(ハーバード大学流)と理論中心方式(シカゴ大学流)がある。AITではこの2つをミックスした形をとり、各々教授の方針に任せているため科目によって進め方が違う。

1、2学期は基本的なことから始める講義が多く、3学期以降はそれを応用するといった難易度もかなり上がった内容となる。課題発表や討論などを講義の中心とし学習していくようになっている。

日本の大学の講義よりも遥かに多いと思われる内容、さらに3ヶ月で終了させようとするため非常に早い進度である。教授から提示された教科書とLecture Noteは事前に読んでおいて当たり前、講義ではその要点又は補足説明のみの場合が多く、学生も効率良く学習することが求められている。

学生は熱心に勉強するが、とりわけ学生間で競争するといった感はなく、比較的和やかな雰囲気と言える。授業中は発言を求められ、特に押しの強いインド系の学生を中心に積極的に自分の意見を述べるといった様子だ。日本企業がケースとして取り上げられた時など、教授から名指しで発言を求められたこともあった。その他、課題をプレゼンテーションとして発表する機会がある。OHPやパワーポイントを駆使して作り上げるのは、課題をまとめる以上に労力を必要としたように思う。ケース企業の問題点をどのように解決するか等を発表、それを題材に討論する。例えば「韓国企業・大宇のウズベキスタン進出時の問題解決策」、「タイで新しい通信システムをどのような価格で売り込めば良いか」、といった具合である。発表後の質問・反論には、日本人の発想に無い思いもよらない意見が挙がったりして戸惑うこともあった。

毎時間といってよい程課される課題のためのグループワークは、場所・時間帯でさえ全員で決めることが難しかった。その上、グループでいつも意見が一致するわけではないので、それを調整、まとめて文章にするということは困難を極めた。このグループワークは私にとってかなりの負担となったが、出来るだけ中心者的役割に立ち皆を主導していった。大学卒業後すぐにAITに入学した者は、全く実務経験がない。それゆえ、空論のような意見がでることもあるが、返って新鮮な発想を提供される時もある。各国の経済機構にかなり差があるのが現実である。日本人友人からは、株式を全く知らないミャンマー人学生に株式について講義をしたという話も聞いた。そんな中、飛び抜けて経済的に発展した日本、日本人である私の意見はどれもほとんど受け入れられ反論が無かったように思う。アジアには日本への経済崇拝が根強いからであると思われる。また、英語の発音の違いから会話がスムーズに進まないのでお互い困惑してしまうこともあった。一つ一つの単語をゆっくり発音することが、ここアジアでは必要である。日本人こそ発音がおかしいと思われているかもしれないが…。

その他に、学期毎に各々の科目に対して20ページ程度のタームペーパー(小論文)の提出が課される。

学期の6週目には最初の中間試験が始まる。中には、制限時間5時間という試験もあり思わず唸ってしまった。また、試験週間においても講義は通常通り行われ即ち課題も課される訳で、学生にとっては文字通り「魔の1週間」となる。中間試験間後ホッとしているのも束の間、12週目に行われる期末試験が近づいてくる。「週末にはガイドブックを片手に観光名所巡りでも…」などと考えていると驚く程課題を出され、恨めしさを感じながら図書館と自室の往復で休日の夜は暮れていく。学期の初めの頃は、週末となるとバンコク市内の自宅へ戻っていたタイ人学生も、そんな余裕も無くなったのか休日でも学内で見かけるようになり、眠そうな顔をしながら「課題はできた?」などと声をかけてくる。

卒業論文への道

論文はリサーチ(12単位)と学術論文(16単位)の2つに別れている。リサーチとは完璧な理論で埋める学術論文とは違い、関心のある企業の管理職へのインタビューやアンケートを行い、学問的に裏付けをし自分の意見を論じていくものである。これは学生が生の企業に触れ、質問や分析及び提案などをすることによって実践力を身に付けるということが目的である。SOMでは実践を重視するMBAらしく、私を含めほとんどの学生がリサーチを選択した。(尚、この章における卒業論文とはリサーチを意味する)

一方、学術論文は新しい学術的理論を導き出すことを目的とする。いわゆる、今後の学生の教科書になるべく質のものを言う。これには成績を参考に(いわゆるトップクラスの学生)学生の将来の目標を見定めた上で教授の承認が必要とされ、博士過程志望者以外は選択しないものである。

3名以上の教官から構成される審査委員会が各学生毎に作られ、卒業論文のプロポーザル・中間報告・最終発表が厳格に審査される。論文は、国際的に名の通ったジャーナルに採用されることが最高の評価となる。 卒業論文には卒業式近くまで大変苦労させられたので、ここで私の反省と奮闘ぶりを伝えたい。

卒業論文のスケジュール

4学期から卒業論文の準備を開始。まずはテーマを決め、そのテーマの専門と思われる教授を各自が選びその内容について話し合う。時には、専門分野外だと判断され他の教授に当たるようにと拒否される場合もあるという。4学期終盤に、卒業論文の第1章(論文のテーマ、調査方法)を教授と相談、そして合意後に大学側に提出、5学期にはその調査方法に沿い担当教授の指導のもと論文を進めていく。そして、論文が担当教授より認可を受け終了した後には、その論文をまとめOHPを使い 30分のプレゼンテーション行う。これには、担当教授以外に2名の教授の出席(審査委員会)が必要となるため、最終論文をその2名の教授達にも提出し出席を依頼しておく。発表時には教授陣から多角的な質問が投げかけられるため、どこから攻められても良いよう万全の対策と堂々と自分の考えを言いきる度胸が必要となる。その質疑応答の結果、教授陣が論文を受理し卒業を認可するかどうかを協議、全員一致でOKがでれば晴れて終了、卒業となる。

テーマ選択

何といってもテーマの選択が非常に重要となる。テーマの目の付け所によって論文の良し悪し・難度が決まるといっても過言ではない。私が受けたテーマ選択に関する教授のアドバイスは、

以上の3点である。私はこれに忠実に、テーマを「Entry and Marketing Strategy in Myanmar Market :A case of Hitachi Plant Engineering & Co.Ltd」(日立プラント建設のミャンマーへの進出戦略とマーケティング戦略)と決めた。ミャンマーは政治的・経済的にも注目されている国の一つで、殊に最近では日本の円借款が再開されたとの報道に賛否両論が起こっている。日立プラント建設を選んだ理由は、経営形態を分析することによってより深く自社を理解でき、また将来ミャンマーへの進出の足掛かりとなればと考えたからである。しかし、簡単に考えていた資料・情報入手が思いもよらず捗らないといった状況が続いた。軍事政権による情報公開の少なさ、また公式発表資料の不正確さには悩まされた。どうやって切り抜けたかというと、過去ミャンマーに関する論文・最新と言われるミャンマー本は全て熟読、インターネットでの情報収拾に努め、SOM同級生のミャンマー人やミャンマー駐在の日本人に生の声を聞いた。また、自社の内部情報は記述できないため公表されているデータ(Annual Report・有価証券報告書等)を利用した。振り返れば、知恵熱が出るほど大変な作業ではあったが、ミャンマーを題材にしている論文は数少ないため、私の論文が反対に注目されたことは事実である。

調査方法

教授と合意した調査方法によって各自がフィールド調査を行う。調査方法はテーマによって決まり、方法は数量調査と質量調査の2つに分別できる。数量調査とはアンケートを取り統計的に分析すること、質量調査はインタビューを行いそれをもとに独自に分析することである。

調査の費用に関しては、大学側から若干額が支給される。1人当たり約5万円のため、ほとんど航空運賃や交通機関費用で終わってしまうが足しにはなり得る。費用申請は、12月末までに大学側に申請書・予算書・論文第1章のコピーを提出する。精算はUS$立てで複雑な仕組みになっているので細かく領収書を取っておくか、わかりやすいように記しておくと良い。

問題点

学生は基本的に規定期間内に卒業させることが前提になっており、成績の悪い学生には教授から様々な補助がある。卒業論文においては、余りにも内容に乏しい、テーマから反れたものは書き直しをさせることもあるようだが、在籍中に提出すれば卒業不可ということはない。そのため、学生の中に真剣に取り組まない者がいることは事実である。

コンピューターの発展によりデータの収集が容易になり、あまり苦労せず論文を作成することが可能になってきた。卒業生の論文もフロッピーに保存されSOMで保管されているので、誰でも借りることができる。そのため、それをコーピーし若干の修正を加えたのみで自分の論文とする学生がいる。これでは論文という意味が薄れ、形式となった勉強は自分の糧とはならない。今後もこのような状況は続くと思われるが、各自の自覚が必要と言える。

評価基準(以下GPA)

成績はA.B+.B.C+.C.D.Fと7段階になっており、Aを4.0とし評価が下がるごとに0.5づつ減りCは2.0でFは0となる。卒業には最低2.75以上のGPAを取ることが要求され、各学期で下回ると保護観察処分のように担当教授から事細かに指導を受けることになる。また2.50を下回ると退学も示唆される。正確なデータはないが、SOMの平均は3.1程度だと思われる。各授業の評価は相対評価であり上位10〜15%がAになり、反対に下位10〜15%だとC+、下位5%がCとなる。成績の採点方法は各教授まちまちだが、必ず試験何%・授業での発言何%・課題何%と発表されるため、力点の置き方や学習の時間配分などの計画・対策は立て易いと思う。日頃のまとまった時間の学習が必要で、試験前の詰込み作業などでは良い成績は望めない。グループワークでは、評価はメンバー全員が同じになることが多く、優秀な学生とできるだけ同じグループになることも裏技である。

教授

AITには30ヶ国120名の教官が在籍、大半が期間を決めての派遣という形である。教官のポストはChair Professor, Professor, Associate Professor, Assistant Professorの4ランクが常勤教官であり、非常勤または短期採用としてVisiting Professor(1年以上), Associate Faculty(学期単位の客員講師), Affiliate Faculty(非常勤で外部機関から派遣された講師)がある。これにはAITからの直接雇用教官と、外部の機関(例えばJICA)から給与を支給されている外部援助教官(Second Faculty)があり半々である。後者は欧米及び日本など先進国からの教官に占められている。直接雇用教官の場合、給与はバーツ(Baht以下B)支払いのため自国または他国に比べると少ないと感じるのだろう。そのため、平行してコンサルタントの仕事も行っている教授もおり、海外出張のため授業を延期・振替することがある。特に、AITにはベトナム分校があり掛持ちの教授もいるため不定期に休講にすることもある。

教授はAITの学生に教え込もうという態度より、どちらかと言うと学ぶチャンスを与えているといった感である。なぜなら、学生のほとんどは政府の奨学生のため、必ず規定期間内に卒業させなければならないからである。落第者を出さないようにと余りにも先進的なことは行わないので、日本人等にしてみれば物足りないこともある。

CLET(Center for Language and Educational Technology)

入学前の2ヶ月間、CLETという研修施設で英語の学習プログラムが組まれている。(希望者のみ、費用は自己負担) 9月入学の場合は7月初旬から開始、これはもちろんAIT合格発表前だが、受験している限りは発表前でも受講可能である。同期の日本人受講者によると、内容はネイティブの教官からの課題を学生同士のグループワークで行うことが中心であり、英語力向上は時間を割いた割には期待できなかったという感想であった。しかし、ここで学部を超えた最初の友人を得ることが出来るといった、各国学生との交流を深める点では有意義なものと考えられる。9月からは、授業と平行し週2時間の英語補強クラスが組まれる。これも同様にグループを組んでの自習が中心となる。

第2言語が英語で今までの学校の教科書も英語だったという学生や、インドのように多民族国家では違う民族とのコミュニケーションは英語で行われるため、学生の英語力が非常に高い。少し英語が話せるといった程度では、CLETでの2ヶ月余りの学習でさえ皆に追いつけることができるとは思えない。

その他、タイ語・フランス語そして日本語クラスがあり、授業と平行して受講できる。タイ語・フランス語はかなり安いが授業料を取り、AIT職員を教官とし午後又は夕方から行われる。日本語クラスは、教授の奥さま方伝統のボランティア授業となっており、授業料なしで昼休みに行われるため大変に人気がある。日本のドラマやマンガがテレビで放送され、日本製品も手の届く価格になってきたことから、日本への関心の高さや憧れが強く日本語熱は未だに高いと見受けられる。また、AIT卒業後もしくは途中から日本の大学院へ留学したいという学生も多いと聞く。しかし、日本語自体が難しいため脱落者が相次ぎ、最後まで残るのは2、3名程である。

交換留学制度

AITとヨーロッパの各大学(イギリス・フランス・フィンランド・ベルギー)の交換留学協定により、ヨーロッパでの単位取得がAITでも認可される。約15名が毎年SOMより選抜され、4学期の3ヶ月間ヨーロッパに滞在し勉強する。これは交換留学を通して、ヨーロッパの学生との議論・交流を、さらに国際経営のセンスを磨くという目的で行われている。派遣する学生は、成績上位者の中から選抜することにとなっているのでかなり厳しい競争となる。毎年希望者が溢れ今年度の例では、18名の枠に80名以上の申し込みがあり、最終的には成績上位者から順に選抜された。従って、交換留学を希望する場合は入学当初からその目標を掲げ、成績は平均3.7以上を保っていくべきである。費用に関しては、授業料及び寮費はAITに通常通り支払うことで代替となり、交通費と現地での生活費はPTSプログラムを利用したAIT負担と、自己負担の2通りがある。PTSプログラムとは、原則として各国(日本不可、発展途上国のみ)から1名合計10名の成績優秀者が選抜され、交通費と生活費が支給されるという留学補助プログラムである。

一方、ヨーロッパからの学生は、選抜ではなく希望すれば通るようである。そのためか、それ程熱心に講義に参加するという感じではなかったように思う。時間を有意義に使うことに長けた彼らは、休日にはスポーツをしたり大きなリュックを背負ってどこかに出かけて行った。

生活面から

タイは5月からの雨季になると、フルーツ王国と名が付くほど美味しい安価な果物が出回る。しかし、突然の雷雨に瞬く間に停電、1時間で復旧すれば良いほうで、コンピューターに打ち込んでいる時などは悲惨、料理をしている時は中断せざるを得ない。AITは暗闇と化し、もちろん全ての施設でエアコンも止まるため家の中でじっとしているしかない。蚊取り線香は必須アイテムで、食事中はロウソクの明かりで摂らなければならない。打って変わって10月からの乾季は雨もなく、日本の初夏のような過ごしやすい季節となる。雨季の間たっぷりと水を吸った樹木が萌え花が咲き乱れる、その様子は本当に美しく緑の多いAITならではと思う。

住環境

AITには職員寮と学生寮が混在する。タイ人学生のようにバンコク市内に自宅があり仮住まいとして寮を借りる者もいるが、ほぼ全員学内に住んでいる。日本人では、海外建設協会(以下海建協)派遣の2組の夫妻がAITより車で15〜30分のアパートメントに、SOM博士過程の単身赴任者は最近バンコクにコンドミニアムを購入した。

独身者は最初、3畳一間エアコンなしトイレ・シャワー共同の部屋約2,400 B(1B=約3.2円)からスタートする。築30〜40年は経ったであろうその寮は、風通しが悪いため湿気がこもり食べ物はおろか洋服までもがカビてしまう始末。私の入学当時は雨季だったため、暑くて眠れない夜が続いたものだった。部屋を変わる場合は、大学のHousing officeに申請するのだが、申請者が多いためか事務所の対応が大変に手際が悪い上に不親切で、学生・職員から不評をかっていた。申請すると1Kのエアコンなし(3,000B)独身寮か、2Kのエアコン1台付き(7,700B)の家族寮に移ることができる。しかし、妻の渡タイに合わせて私が申請していた頃は、慢性的な家族用寮の不足で順番がいつ回ってくるのかもわからない状況だった。その後、隣のタマサート大学会場で行われたアジア大会に合わせたように新しい寮4棟の建設が始まった。それに伴った道路の整備やテニスコート・バレーボールコートの新設など急ピッチで行われた。私達は新寮完成後すぐに入居。この寮は独身者向けのため2Kだが、各々部屋にエアコンが付いており、3畳一間の寮から考えると雲泥の差である。当初は11,000Bという大学寮にしては高額な寮費のため数ヶ月間入居者が無かったことから、今年に入り私達には何の通知も無く半額の5,200Bに値下げされた。それからは希望者が相次ぎ、今では空室待ちの状況のようである。それならば当初から5,200Bに設定すれば良いのに、Housing Managementも何もない、全く学生のことを考えていない事の進めようにはただただ腹立たしいばかりだ。

職員寮は至る所にあり、学生より職員のほうが多いのではないかと思うくらいだ。エアコン付きの一部屋(約5,000B)に家族3〜6人で暮らしているのが普通だ。学生寮と同様新しい職員寮は19,000Bという法外な値段のまま据え置かれ、主に短期の客員講師などが住む。

教授用に一軒家もあるが大分古く家賃も高いことから、最近ではAIT近くのコンドミニアム又は一軒家に住み、車で通ってくる者が多いようだ。

食生活

留学生活当初、AITでの食事には大変悩まされた。Cafeteriaと呼ばれる学生食堂のメニューは、タイ料理の他、中華、イスラム等種類は多いが、どれも麺やぶっ掛けご飯の類の上毎日メニューが同じで馴染むのに時間がかかった。値段は1食につき15〜30B程度であるが、日本人学生にはもちろんタイ人学生の間でも決して評判は良くなく、自転車で15分程のタマサート大学食堂まで皆で行ったものだった。途中、電気ホットプレートを買い自炊するよう努力したが、天性の不器用さに加え暑さから冷蔵庫も信用ならず、そして絶えずアリに悩まされたためギブアップ。学内のゴルフコース近くの食堂やAITセンター内のレストランは少々高めだが、多くのヨーロッパの教授や職員が食事を取りに出かけている。また、夜12時まで開いているスナックバーと言う軽食のみの食堂もあり、夜食を取る学生、不規則なイスラム系の学生で毎晩賑わっている。今は妻のおかげで家で栄養を摂ることができている。

食品・日用品の購入は学内にある雑貨屋(グロッサリー)で事足りるが、衣類や家電品などになるとバンコクかバスで30分程のデパートまで買いに行かなくてはならない。デパートの食品売り場には、タイ製の豆腐や納豆、味噌などの調味料はもちろん、日本食を作ろうと思えば大抵の物を揃えることができる。日本からの輸入品は驚く程高いが、生鮮食品は味はともかくとして野菜類が高騰している日本とは比べ物にならない価格で手に入る。しかし、日本とは違い歩いてコンビニエンスストアへ行くことはできず、ほとんどがガソリンスタンドに併設されており車で立ち寄るしかない。

生活のプロに言わせると、生鮮食品などはAITからバスで10分、24時間営業のタラタイ市場が良いようだ。ここは、バンコクやその近郊の胃袋を満たすタイ中央部最大の市場で、広大な敷地の中にあらゆる専門市場が賑わっている。レモン一つとっても卸問屋が気の遠くなるほど続き、麻袋や籠に入った数知れないレモンの光景は圧巻である。肉類などは、店の後ろで生きている物を締め上げその場で解体しているという噂で新鮮そのもののようでだ。もちろん、ほとんどが問屋なので何家族又は何人かの学生で共同購入しなくてはならない。やっかいなのは飲料水で、近所では決まった曜日に来る水屋(と呼んでいる)が5Lタンクに水を詰めて売りに来るが、私達は少し心配だったのでグロッサリーで1L瓶6本20Bの水を毎月20ケース程購入していた。

学内施設

銀行や郵便局、グロッサリーなどがあり、AIT内の生活は事欠かない。学内施設で主だったものを以下のよう連ねてみた。

安全・衛生面

AITの学内で身の危険を感じたことは皆無だ。ゲートでは24時間通行車のチェックが行われ、至る所に警備員が常駐している。寮新設、道路整備などで多くの土木労働者が出入りした一時期は、自転車が盗まれたり深夜の女性の一人歩きへの注意が呼びかけられたりした。しかし今では、夜中に図書館での勉強を終えて帰宅する女子学生や散歩する家族連れも多数見受けられ、AIT内では安全と言えるだろう。しかし、AIT外に住む妻の友人の話では、一戸建てのため泥棒に入られた、見知らぬ男性に後をつけられたなどということもあったそうだ。大都市バンコクではさらに注意が必要で、日本人会からの注意や口コミで情報が入ってきた。平日、ショッピングの中心地、日本人御用達の伊勢丹の女性用トイレに男が忍び込み、たまたま入ってきた高校生をナイフで脅かし金品を奪って逃げた。このような買い物客の少ない平日、明らかに日本人をターゲットにしたと思われる強盗が多発しているようだ。日本人は身なりが目に付きやすいので、一人行動は避けるなど隙を見せない警戒心をもつことが大切だと言える。

タイでの心配事の一つは人間だけではない。90%は狂犬病をもっているという野良犬(?)だ。彼らは街中至る所、昼間から歩道の真中で寝ており、注意して歩かないと危うく踏みつけてしまいそうなくらいだ。別に危害を加えてくるわけではないので無視して通り過ぎれば良いのだが、エサほしさに追いかけてきた時など肝を冷やしたことがある。 衛生面について大きな問題はないが、熱帯の国なので物は腐りやすく虫も多いと思われる。タイの菌に慣れたせいか何を食べても腹を下すことはまずない。妻が渡タイして3ヶ月目に原因不明の下痢に悩まされ、日本の常備薬を飲んでも効かず困っていたところ、友人に「今、日本の大腸菌からタイの大腸菌に入れ替わろうとしているところだから大丈夫」と励まされ(?)、タイの市販薬を勧められ即治ったことがあった。郷に入れば郷に従えとは良く言ったものだと感心してしまった。

AITではあまりゴキブリやネズミをみかけない、見つけても屋外で完全に野生化しているものばかりだ。日本からの旅行者には注意が呼びかけられているようだが、タイの都市では蚊を媒体としてマラリアになったという話は聞いたことがない。その蚊や蝿を主食とするタイ名チンチョ、つまりヤモリがそこら中の壁に貼りついている。少し透き通った茶色のチンチョは妻の天敵で、稀に家の中で遭遇すると血相を変えて大騒ぎをする。AITには両生類・爬虫類系は豊富で、夜、足元を良く見て歩かないとテニスボール大の蛙を蹴飛ばしてしまう。道路を横切る2本足のものがいると目を凝らすと、映画「ロストワールド」のレックス似のトカゲで子犬大のものが走っているのだ。またゴルフ場近くの雑木林で、1mの大トカゲが赤い舌を出していたという話もある。AITでは聞かないが、郊外で少し藪や草叢の中に入ると毒蛇がおり、誤って踏みつけると噛まれ命の危険に及ぶと言う。友人宅の犬が蛇に噛まれて泡を吹いて倒れたとも聞いた。そのため蛇除けの薬を撒いたり、芝生を定期的に刈っている。

交通機関・周辺地域

AITはバンコク市に隣接するパトムタニ(Puthamuthani)市クロンルアン(Kulong Luang)町にある。バンコク中心部より40 km北方、高速道路を使って60分程である。アジア大会直前まで、隣のタマサート会場への道路整備・高速道路建設のため朝夕は大渋滞となった。その頃、バンコクへバスで行くのに有に2、3時間はかかったものだった。現在、周辺で混雑する所はないが、やはりバンコク市内に入ると時間帯に係らず世界一の渋滞が蔓延っている。AITからバンコクへはバスで16B、タクシーだとおおよそ300B(別途高速道路料金83B)かかる。近くのデパートFuture Park Ransit(通称フューチャー)へは一律4Bのソンテウ(乗合バス)が便利だろう。トヨタのピックアップトラックに、幌と座席を備え付けただけの合法化されたバスである。周辺の小中学校生などが多く利用している。

ここでフューチャーについて少し詳しく書いてみよう。フューチャーというくらいだから、どんなに最新鋭の物が揃えてあるのかと思えば、タイ最大級のチェーン・セントラルデパートとロビンソンスーパーマーケット・様々な専門店街・映画館・ボーリング場がある、いわゆる郊外型の大型ショッピングセンターなのである。ここには日本料理店が2店あり、周辺工場の日本人勤労者を良く見かけることができる。主だったファーストフード店もあり、日本同様学生の溜まり場となっている。アジアに良く見られる傾向で、休日ともなると涼みに来る客(?)でベンチがいっぱいになる。彼らは別に何を買うわけでもなく、いろいろな店をちゃかしてはブラブラし皆とのおしゃべりに嵩じている。そういう私達もAIT内で半日停電があった時、何もすることがなく同じように暇を潰していたが…。

AITの隣にタマサート大学併設の病院がある。各国の友人のほとんどは、ここで治療または出産したという。しかし、日本人の間では衛生面で不安が残るためほとんど利用する者はいない。一度腕に怪我をしたAITに住む日本人勤務者が緊急入院、手術をした。一応VIPルームを用意してもらったが、部屋のお粗末な感じは否めなかった。治療の技術などに問題はないと思われるが、看護婦はもとより医師も英語が十分に話せないといった状況で、当人は大変不安だったことと思う。

AITからソンテウで10分程の所にナワナコーン工業団地がある。ここには何十社もの日系企業が進出しており、多数の駐在者がいると思われる。隣接するナワナコーン病院には、日本人医師・高橋医師と通訳一人が常駐しており、妻が何度かお世話になった。治療費はタイ人医師に比べると倍高いが、タイ人医師には英語をまともに話す者がほとんどおらず通訳を頼るしかない。高橋医師は大変親切で、健康管理に至るまで気を使ってくれる若い医師である。ここで日本同様、健康診断も受けることができる。

その他

学内には公衆電話が多数あり、JCBカードを使用した国際電話も可能だ。夜になると公衆電話には長い列ができ、蚊に刺されながら順番を待つのが大変だった。家の電話は、国際・国内とも受信することはできるが、外部へ電話をかけるには高額の工事費用を支払わなければならないため備え付けていない。また、混線・停電等により頻繁に不通になる。大学の通信施設で電話・FAXを依頼すると領収書も取ることができる。日本には馴染みのないコピ−ボーイ常駐のコピー機は、図書館など数箇所にあり事欠かないが、機械が古いためソーターなど備え付けておらず、仕上がりもインクが滲んでいたりと期待できない。

各学部ごとにコンピュータルームがあるが、学生に対して絶対数ないためいつも混み合っている。E-Mailアドレスは大学から与えられ、大学からの知らせや学生間の連絡、日本で事務手続きを行ってくれた三上さんとのやり取りにと大変活躍した。海外で生活してみると、改めてコンピューター特にE-Mailのありがたさが良くわかる。

AITの問題点

アジアの有能な頭脳流出阻止という目的で創立されたAITであるが、この高尚な精神にアジア諸国はついていけないといった感がある。母国の政府もしくは企業に属し、そこから奨学金を受けて来ている学生以外は、卒業後もタイ国内の企業(外資系を含む)またはシンガポールなどへの就職を希望する学生が多数いる。これは各国の経済格差により、不況のタイでも就職すれば自国での収入のほぼ倍額を獲得できるからである。少しでも良い賃金・条件を求めるのは当然であるが、これでは優秀な人材は流出したまま自国へは還元されないのである。その上、折からのアジア経済不況により、ほとんどの学生が就職先を決定できていないといった状況である。タイでの就職活動が長引き、中にはビザが切れているにもかかわらず、友人宅に身を寄せながら勝機を待っている者もいると聞く。

その不況により、各国の寄付金出し渋りに伴い、奨学金を受ける学生も減少している。一方、タイ人富裕層の子弟が顕著に増えており、今ではおよそ過半数がタイ人学生である。そのため、タイの一大学になりつつあると批判も出だし、今後もこの傾向が続けばAITの存在意義が問われるだろう。AITでは新たにMission Statementを作成し将来の展開を期している。

本当かどうかは定かではないが、AITは近年、自ら財政危機と公言。外部からの寄付に依存し、どう見てもManagementに欠けるAITの運営には甚だ疑問を感じるところである。数年前のタイ好景気の時期に無謀な建設計画を立て着工したものの、現在財政難で工事を中断せざるを得ないビルもある。また、今年から卒業論文集の個人配布が中止、寮の内線電話料金も無料から200Bへと通知も無しに値上がりした。円に換算するとわずかではあるが、奨学生として慎ましく生活している友人達を見ているとやり切れない思いである。財政危機の負担が学生の肩に圧し掛かって来つつあるようだ。 無計画による慢性的な寮不足も、新寮オープンに伴い解消した。しかし、職員のなかにはまだ職も決定していないうちに親族を頼って渡タイしてくるため、大家族で狭い寮に住む者もいる。

AITで苦労した点を10とすると、もちろん勉強が7割でその他が3割である。その他とは、例えば混雑の上故障の多いコピー室でコピー1枚取るにも、計算違いが多い請求書を解明するにも、相当の労力を必要とする。講義で教授が指示した資料は図書館に1冊しかなく、それを100名の学生でどう対応しろというのか。

AITの決定的な欠点は学生の側に立っていないことである。一つの事務手続きを願い出るにせよ、スタッフの高慢な態度には唖然とするばかりである。手際が悪い上にミスも多く、黙っているとうやむやにされてしまう。上司に訴えれば、知らぬ存ぜぬ担当外だとつき返される。いつまでもあの官僚的な態度・運営では、AITの発展性はないと声を大にして言いたい。


  1. はじめに
  2. MBAについて
  3. AITの紹介
  4. 各国の学生
  5. AITへ留学する方へ
  6. 留学に対する提案
  7. 添付資料:AITの紹介(タイ日本人会会報「クルンテープ」への掲載記事より)

[AITでの活動報告]
須崎純一 京都大学大学院 工学研究科社会基盤工学専攻 空間情報学講座