加藤佳孝の近況報告

近況の報告

今年(2005年)の5月末日にAIT赴任してから,4ヶ月が経過した。実は,昨年度も5月中旬から3ヶ月間,客員としてAITに赴任している。この時は,予定は3ヶ月であったが,6月初旬の一時帰国時に水疱瘡と肢蜂窩織炎を煩い,日本の自宅で3週間ほど療養し,その後AITに戻ってきたために,結果的には短期の滞在となってしまった。私の赴任は,恐らく,これまでの先生方とは少し異なっているのだと思う。未だに,“赴任”なのか“出張”なのか?私が所属する京都大学大学院 工学研究科社会基盤工学専攻 空間情報学講座(生研)の都市基盤安全工学国際研究センターは,2002年の10月29日に,AITのSchool of Civil Engineering (SCE) 内にリエゾンオフィス(Regional Network Office for Urban Safety (RNUS))を開設した。これは,今後のアジア諸国との共同研究の重要性を認識し,その拠点となるべくオフィスをSCEと共同開設したのである。開設後,2003,2004年度には,私の前任者であるダッタ助教授が,RNUSのCoordinatorとして,このオフィスを運営していた。私はその後を引き継いだ形となっている。ダッタ助教授にしても,私にしても,長期出張ということでAITに来ているため,最大滞在期間は3ヶ月であり,そのため3か月に1度は日本に帰国する必要がある。と,このように説明すると,必ず,「出張費が貯まるから一財産できるね」という,ありがた迷惑なコメントをもらう。現実はそんなに甘くはなく,必要最低限の費用しか出張費としては出ていないのである(と,こんなことはどうでもいいことだが)。また,私の場合,生研の私の研究室に所属している博士課程,修士課程,研究実習生等の学生さんの指導教員でもあるため,AITが主軸とはいえ,2足のわらじを履かざる負えない状況となっている。幸いなことに,AITの基本的な学校運営のサイクルは8月〜5月(6,7月が夏休み)であり,日本のサイクルと若干ずれているので,バランスよく2足のわらじを履けるような気がしている。JICAの先生方に比べ,自分の行動に自由度があるのが,私の場合のメリットであり,12月の初旬にAITの授業が終わった後,日本に帰国し生研の学生さんの指導をするつもりである。また,正月明けにはAITに来るが,とんぼ返りで帰国し,卒業生たちの追い込みを1ヶ月ほどしてくるつもりではある。通常は,生研の学生さんたちとは,webカメラを使用したビデオ会議を通して,学会前の練習や中間審査の練習,メールによるディスカッション,などを活用して指導している。こういう状況を冷静に考えると,テクノロジーの進歩に感謝である。

AITでは,8月からのセメスターで授業を1コマ受け持ち,修論の指導は残念ながら(当然のことながら?)1人である。突然やってきた客員の先生を希望する学生さんは,普通いないですよね。私が学生でも選択しないですし。また,私はStructural Engineering Filed of Studyに所属しているが,私の専門分野とは近いようで少し遠い。そのため,学生さんからすれば,私が並べた修論のテーマは,何これ?という状況だったと思う。来年度は,もう少し学生さんの人気を集めたいと思っている。 赴任してからの4ヶ月間は,ほとんど授業の準備に追われている毎日である。担当しているのは1コマであるが,1時間半の授業が週に2回(延べで27回),日本の授業の2コマ弱に相当する。しかも,もちろん英語で。依頼された授業は「Advanced Concrete Structure」で,私の専門外のコンクリート構造がメインとなる授業のタイトルであるが,授業の後半部分ではメンテナンスにもふれるつもりである。正直,コンクリート構造だけで27回もの授業をこなすのは難しいと言うことと,個人的な思い入れとして,アジアの若手にメンテナンスの重要性を浸透させたいという思いがある。学生時代に構造を学んで以来,ほとんど専門書を読んだことがなかったが,今回,この授業を受け持ったおかげで非常によい勉強になった。思いがけない収穫かもしれない。

(2005年10月6日)

AITに在籍することの意義

私がAITに在籍する意義は,近況報告で紹介したように,RNUSを活用してタイおよびその他周辺国の研究者との共同研究の推進,ネットワークの形成にある。また,個人的に意義としていることは,アジア諸国の若手コンクリートエンジニアに,メンテナンスの重要性,難しさを浸透させたいと思っている。我が国もそうであったように,高度経済成長期には,インフラを整備する(建設する)ことに傾注しすぎ,花形の設計・施工に比べてメンテナンスなどという地味な活動は,不人気な産業活動である。これが,1980代頃のアメリカ,そして現在の日本における,メンテナンス費用の急増を招いているのである。負の遺産である。このような歴史を繰り返す必要はなく,我々が学んできたことを,今後発展してくる諸外国に技術移転していくことが重要である。実際,タイやその他のアジア諸国の構造物を見て思った感想として,“とりあえずインフラ整備はしてあります”という印象を受ける。舗装された道路はそれなりにある,しかし,その構造物としてのクオリティーといえば・・・。恐らく,短期間で構造的な欠陥のある状況になると思われる。極めてサイクルの短い,スクラップアンドビルドになりかねない状況にある。メンテナンスは,コンクリート工学の総合学問であるが,現状では,構造物の設計分野に比べれば大人(設計)と子供(メンテナンス)以上の成熟度の差がある。実フィールドで,本当に適切なメンテナンスをすることは,現状の技術では無理であり,試行錯誤を繰り返しているといえる。であるからこそ,良質なインフラを建造することが重要なのである。できれば,高度な技術を必要とするメンテナンスをする必要がない構造物を建造することが,最終的には費用対効果に見合うことになると思っている。私としては,メンテナンスの重要性,難しさをタイのエンジニアに伝えることで,建造する構造物の品質をできる限り良質なものにすることの重要性を訴えていきたいと思っている。

AITに赴任して4ヶ月足らずではあるが,人的なネットワークは徐々に広がりつつあると思う。残念ながら,共同研究を具体的に始めるような段階には,現状としては至っていないが,タイの他大学の先生方と共同で研究を進めるべく,数回の打ち合わせをしたというような状況である。これらの先生方は,私が所属する東京大学工学系研究科社会基盤学科(当時は,土木工学科?)に留学していた方々である。実際,これらの先生方は私よりも10歳以上先輩の方々で,彼らが東京大学に在籍中は,私は小学生か中学生といったところであり,何の面識もないのである。しかし,彼らに共同研究の相談をすれば親身になって相談に応じてくれる。これは,私のボスである魚本教授をはじめとする諸先輩方が,彼らが留学中の指導教官あるいは論文の指導をされており,その子分である加藤が来るのであれば,我々が面倒をみなくては,という思いがあるに違いない。このような持続的かつ良好な人間関係は,短期的な共同研究が生み出すものではなく,世代を超えた交流(私の場合であれば,魚本教授→タイの留学生(現在の先生方)→加藤→AITの留学生・・・)を継続することによって初めてなし得る成果であり,恐らく,短期的な共同研究の成果とは比べものにならないほど,両国の発展に寄与していると思われる。過去の諸先輩方が形成されてきた,この良好な関係を今後も持続していくことが極めて重要なことであると,身をもって感じている。我が国がアジア,今後はアフリカ等と良好な関係のもとにリーダーシップを発揮していくためには,産官学が共同して,持続可能な人的交流システムを構築することが極めて重要であるといる。現在,日本政府は国際貢献の立場から,アジアからアフリカへの支援にシフトしているように思われる。支援の強弱があることは,社会情勢や国家戦略的に重要なことであり,アフリカへの転換は国策として理解できるところである。しかし,これまで形成してきた良好な関係を持続するためには,支援を打ち切ることは得策ではない。金の切れ目が縁の切れ目とまでは言わないが,それはある一面において事実であると思う。右向け右で,日本全体が右(アフリカ)を向くのではなく,左(アジアやその他)を向く人がいることが,全体のシステムとしては良質なのだと思う。無論,政府頼みのシステムは持続可能なシステムではなく,その意味で,私のように大学主体で赴任してくる場合や,民間企業が社会貢献的に社員を派遣するなど,良好なシステムを持続するための選択肢を増やしていく必要がある。これらの産官学の活動が,相乗効果を生み出すようなシステムとして昇華させていくことが,最も重要なことだと思う。実際,異なる母体からタイに赴任している日本人同士は,良好な産官学の関係が構築されているように思われる。現地の状況と比較すると,必ずしも日本における派遣母体である産官学の協調関係は良好ではない。微力ながら,肌で感じた人的ネットワークの重要性を持続可能なシステムにすべく,貢献していきたいと思う。赴任して期間も短いために,“意義”と言うほど明確な内容は書けず,どちらかといえば“感想文”のような状況になってしまったことはお許しいただきたいと思う。今後の活動をふまえて,随時アップデートしていきたいと思っている。

(2005年10月6日)


[AITでの活動報告]
須崎純一 京都大学大学院 工学研究科社会基盤工学専攻 空間情報学講座