花岡伸也の近況報告

近況の報告

2003年7月に財団法人運輸政策研究機構・運輸政策研究所を退職し,Direct HireとしてAITに着任した.運輸政策研究所とは現在も客員研究員として関わりを持っており,研究費を補助して頂いている.運輸政策研究所は2005年9月に国際共同研究プロジェクトを立ち上げ,私もその一員として研究協力をしている.

AITでの仕事も3年目となり,落ち着いてきたように思う.仕事の内容は,主に(1)講義,(2)学生の論文指導,(3)論文・書籍・報告書・寄稿などの執筆,の3つに分けられる.講義は年間で3科目を担当している.講義は自分の未熟さを露呈する場でもある.自らの不勉強の結果として,各科目とも毎年一部の内容を更新・変更している.2学期制のAITにおいて,後期の1月〜4月の4ヶ月間は2科目を教えているため,この期間は準備も含めて講義に多くの時間を費やしている.講義で最も難しいのは,内容の難易度の設定にある.AITの学生の質は,正直に申し上げて一定ではない.優秀な学生とそうでない学生の差は大きい.彼らが学部時代に学んだ学習内容が異なるため,講義のレベルをどこにおくべきか迷う.時には優秀な学生には多少物足りないものとなってしまうようだ.そのため,講義では多少難易度の高い内容を含めている.一方,昨年からはチューター制度(チューターは修士2年の優秀な学生が担当する)を導入し,そこで理解を深めてもらうようにしている.

論文指導実績は下記の通りである.

主査および副査として指導した(または指導している)学生の国籍はタイ,スリランカ,パキスタン,インド,日本,バングラディッシュ,ミャンマーと多岐に渡る.このうち,1年目の修士2名,2年目の修士1名を日本の大学(長岡技術科学大学,横浜国立大学,京都大学)の博士課程に送り出している.内2人はJICA専門家としてAITに派遣されていた経験のある先生の下で学んでいる.AITで教官を経験した先生方はAITの優秀な学生達を率先して引き受けて下さる.AITの交通工学分野から,このような形で日本の大学で博士号を取得した学生は非常に多い.これはAIT発のネットワークとして大きな財産と言えるだろう.

主査として指導した学生の研究成果は,積極的に国際学術誌,国際学会に投稿している.過去2年間で,AITでの研究成果から国際学術誌・国際学会の審査付き論文5本,国際学会proceedings4本を既に執筆し,掲載された.国際学術誌に投稿中の論文がその他に2本ある.日本語ではあるが書籍の担当章執筆も3本終了し,出版を待っているところである.その他の仕事として,タイや日本での講演活動,日本の専門誌への寄稿,プロジェクトなどがある.プロジェクトは2005年になって2つ獲得することができたので,本格的に活動を始めているところである.

AITに在籍することの意義

在籍する意義を語るには,なぜAITを就職先として選んだのかを語らなくてはならない.しかしこれは個人的な理由であるため,ここでは述べられない.研究者の本業は研究であり,大学を職場として選ぶ限り,程度の差はあれ研究はどこでもできると思っている.上述のとおり,研究活動は充実している.海外で仕事していることについて,最近は特に強く意識はしていない.しかし一つだけ例外がある.

前職が財団法人であったため,私にとって,大学という機関で仕事をするのはAITが初めてである.ここで感じるのは,大学教官は「先生としての力量」が問われる職業である,ということだ.研究能力や講義を教える能力が必要なことは言うまでもないが,「先生」としての人間的魅力も不可欠だ.海外で働いていることを意識するのはこのときである.学生は日本人ではない.学生が私を見る目は,必然的に「日本人」を見る目にもつながる.AITは研究機関でもあり教育機関でもある.教育機関の最大の目的は「人材を育てる」ことだ.人材を育てることこそ,国際貢献の中で日本が最も必要としている部分(またこれまで不足してきた部分)であることは論を待たない.私は「日本人」としてアジアの優秀な学生を育てられる立場にある.彼ら・彼女らは私を通じて日本を見る.そして理解する.日本代表などという過剰な意識は毛頭ない.それでも学生達は身近な人からその国を,そして国民性を判断する.この事実を冷静に受け止めつつ,自分のできることに真摯に立ち向かうことが国際貢献かもしれないと考える.アジア全域からの多様な学生達と触れあえるのはAITの他にない.AITに日本人教官がいることの意義は,ここにあるのだろうか.明確な答えは,まだない.

[2005年10月17日記]


[AITでの活動報告]
須崎純一 京都大学大学院 工学研究科社会基盤工学専攻 空間情報学講座